REVIEW 『なつかしの庭』

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個人の幸福を望んではいけなかった時代へのレクイエムだ。
それは、ヒョヌの記憶を辿るような現在と過去を錯綜させる
イム・サンス監督の映像スタイルからも明らかだ。
17年ぶりに釈放されたヒョヌは、かつてとはまったく様相が異なる、
消費文化にどっぷり漬かった家族の姿に当惑しただろう。
何があってもヒョヌを信じていると誓った母は、
不動産で大金を手にし、それまでの空白を埋めるように、
愛息に高額のブランド服を着せかけ、誰よりも満足気だ。
その現実は、80年代当時、命の危険を賭して民主化運動に
希望を託した彼らの夢見た理想とはかけ離れたものに違いない。
しかしそれは、光州で軍事政権の暴力に斃れた多くの学生たちや、
獄中でプライドをずたずたにされた運動家たち、
そうして彼らの不在の裡に息絶えた家族たちの犠牲の上に成り立った
現実であることには間違いない。
社会の激変に直面し、無気力な微笑を浮かべるしかないそんなヒョヌが
必然的に足を向けるのは、暴力に満ちた時代の楽園の地だ。
その最愛の女性ユンヒは、彼の獄中、病で息を引き取った。
ヒョヌが再びソウルに去った後、夜の闇にほのかに浮かぶ峠を行く乗合バスの灯りに、
ユンヒは幾度となく姿を現わすことのないヒョヌをその光の中に捜しただろうか。
雨の日、ユンヒと戯れた夏の庭に、今、縁側に佇むヒョヌが見るのは、
雪に覆われた孤独だけだ。
歳月は残酷だ。ヒョヌは過ぎ去った17年の歳月の重みを、もう一度じっくりと噛み締めていく。
かつての運動の仲間たちが揃って年齢を重ねている現実を目の当たりにして、
ヒョヌもまた自身の年齢を実感するに違いない。
「そろそろ現実と折りあいをつけましょう」はヒョヌに遺したユンヒの言葉だが、
今のヒョヌに必要なのは怒りや後悔ではなく、心の平穏だ。
そんなヒョヌの癒しとなるのは、まだ見ぬ我が子ウンギョルの存在だ。
暴力の時代、誰もがあっけなく命を落とす。
ユンヒを姉のように慕うミギョンは、企業の労働条件の劣悪さに抗議して、壮絶な死を遂げる。
ユンヒがスンチョンに、彼女の焼死の痕跡に身を重ねるよう命じるとき、
ユンヒは死が綿々と連なるこの時代にじたばたしない覚悟を括ったのだろう。
そうして、「孤独、一途、頑固」なヒョヌが、このまま仲間を見捨てて、
身を隠すことを潔しとせず、再び運動の世界へと立ち返った信念もまた受容するのだ。
初めての出逢いから、ヒョヌとユンヒはお互いに魅かれあったことは、一目で判る。
演じるチ・ジニとヨム・ジョンアの相性が良かったのだろう。
ちょっとした丁々発止にも、ヒョヌとユンヒの親密さが伝わってくる。
正義漢のわりに警官のたむろする食堂で居眠りしてしまう呑気なヒョヌに対して、
その美貌とは裏腹にあっけらかんと言いたいことを口にする屈託ないユンヒが
互いに持ち得ない個性を面白がり、意気投合したとしても不思議ではない。
ふたりは、この関係が束の間のものであることは、最初から意識していたはずだ。
それでもふたりは激しく魅かれあう。命の危険と背中合わせの時代、
現実から逃避したような隔絶された別天地だからこそ、
ふたりの愛はより燃え上がったのかもしれない。
絶対的にユンヒは愛の人だ。彼女に好意を寄せるスンチョンに、
年上の女性の余裕で身を捧げるのも、
彼女自身の中にヒョヌを待ち続けるという揺るぎのない信念があるからだ。
そうして、いつ釈放されるとも知れないヒョヌの子供をひとり産むことで、
命がないがしろにされる時代の希望を託すのだ。
そして、ヒョヌを英雄視するスンチョンは人権派の弁護士となる。
とはいえ、ユンヒの闘病に立ち会えなかったことを、
彼女の手紙を読み返すにつれ、ヒョヌは生涯、悔やむだろう。
けれど、クリスマスの群衆に、ユンヒの幻が彼を見守るように、
ユンヒもヒョヌの人生をともに生きていくのだ。
ウンギョルに自分が父親と告白できずに、彼女の両親のことを他人事のように伝えるヒョヌ。
しかし、娘は敏感にそれを察するものだ。血の繋がりとはそういうものだ。
現代的で、素っ気なくて、勝気そうなウンギョルは、たしかにふたりの血を受け継いだ娘だ。
彼女が、ヒョヌとユンヒたちが痛切な思いで切り拓いた時代を、
次の世代へ受け渡してゆくだろう。
生命さえあれば、いつかいい日もくる。ユンヒの描いた一家の肖像画は、
それぞれの激動を乗り越えて生命を繋ぐ奇跡を、何よりも雄弁に物語る。
クリスマスの雪景色の中、生命の輝きは、いっそうきらきらと煌めく。

●DATA
The Old Garden
2006年韓国映画
監督=イム・サンス
出演=チ・ジニ、ヨム・ジョンア
配給=エスピーオー
2008年3月11日よりCINEMART六本木ほか(韓流シネマ・フェスティバル2008春)にて公開

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