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zoom RSS REVIEW 「第21回東京国際映画祭」 natural TIFF Part.1

<<   作成日時 : 2009/01/08 21:21   >>

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『フェデリコ親父とサクラの木』(写真)『ビューティフル・カントリー』

『フェデリコ親父とサクラの木』
アストゥリア王女の親戚だというフェデリコ親父の不屈の根性が痛快だ。
かつての炭鉱に代わって、火力発電所が経済を支える
この村で暮らす人々は、発電所の轟音に慣れ切ってしまったのだろう。
その音に顔色を変えるのは、ファーガソンと我々観客ぐらいなものだ。
ワゴンカーの故障で、偶然、この村に足止めされたファーガソンが
ヒーローとは程遠いのも、この作品に絶妙の愛嬌を注ぎ込む。
彼が登場したからといって、この村の現状は変わらない。
むしろ、夫に逃げられて女手ひとつで2人の子供を育てる
農家の女丈夫クリスティーナと恋におちる呑気な彼が、
フェデリコ親父の足を引っ張る体たらくなのが、可笑しい。
二酸化炭素を含んだ排煙の影響による酸性雨に抗議して、
発電所のプラントによじ登ったフェデリコを応援するどころか、
フェデリコと同じ足場まで登って初めて、自身の高所恐怖症に震え、
フェデリコに支えられて降りる有様だ。
初めてこの村にやってきたとき、子牛の“キョウト”の出産をただ目撃するだけだったように、
ファーガソンはあくまでも旅人であり、傍観者というスタンスに作り手のセンスを感じる。
そんなテーマとの程良い距離感と、
何よりカタロニアの小さな谷の村の魅力的な人間模様のおおらかさが、
環境問題という重要事をどこまでも軽やかに、ごく身近なものとして観る者に提示する。
初対面の夜、「酒を飲まないと友だちとは言えん」と、
桜の実で作った地酒をフェデリコから差し出されたファーガソンは、旅行ガイドにこう記す。
「“もてなしの魔法”に囚われると旅を続けられなくなる」。
クリスティーナの舅マノロは、魚の棲まない川で魚釣りをして、
釣り針を自分自身に絡ませるおトボケぶりで、
不妊に悩むフェデリコの甥マリオは、妻のタチに誘惑され、聖なる泉でセックスする。
発電所がなくなることを、必ずしも善としては描かないのもフェアだ。
電気がないと、現代生活はお手上げ状態なのも事実だからだ。
買ったばかりの乾燥機も食器洗濯機も、恋人とのパソコンのチャットもできない。
火力発電所のおかげで炭鉱夫の再就職も可能となった。
マリオは発電所勤務だが、それは火力発電に反対するフェデリコを
父と呼べない彼の反抗心の表れだったのかもしれない。
ところが、いざフェデリコの念願が叶って、
二酸化炭素の排煙を出さない発電所を新たに建設することになったとき、
森林は破壊され、今度は村おこしのレジャー施設までできる。
そうなると、フェデリコが家畜の餌のために習慣にしている
草木の伐採でさえも許されず、警察に逮捕されてしまう現実。
フェデリコがいつも電気を消して歩き回っているように、重要なのはまず節電だ。
しかし、40年以上、闘争の日々を送ってきたフェデリコにとって、
もはや闘い続ける気力は残されていなかったのだろう。
そんな彼の魂は、クリスティーナの息子のアルフレードたち
新たな世代に受け継がれて欲しい。
だからこそ、フェデリコが逮捕されたとき、
桜の木に酸性雨を避けるビニールをかけてやる優しき若者たちを描いて欲しかった。
それが観る者の希望に繋がる。
川に浮くマネキンをオブジェにするユニークな感性の持ち主のアルフレードは、
飄々として屈託がなく、マリオからのプレゼントも何の気もなく受け取ってしまう一方、
フェデリコと王女の面会にもちゃっかり付いてくるアルフレードは、
その澄み切った眼で虚心坦懐にフェデリコの行動を見つめていたのだろう、
子牛の“キョウト”を抱きしめながら、
「いつか発電所はなくなる」と呟くアルフレードは頼もしい。
そして、マリオは、フェデリコが彼の母との関係を告白したことで、
実の父子の和解を果たしたのだろうか。
生前のフェデリコはファーガソンに言っていた。「木を抱きしめて、気の優しさを知る」。
彼は仕事柄、母の違う娘を持つ「お尻の落ち着かない」ファーガソンのために、
栗の木を植えてやる。彼がいつでもこの地を訪れることができるように。
そんなフェデリコの優しさは、大自然が私たちに与えてくれる懐深さそのものだ。
手をかける程に決して裏切らない。フェデリコが命に賭けて守った桜の木に、
ほのかな実がほころび始めたように、果断な努力が未来を切り拓いてゆく。

●DATA
Cenizas del cielo
2008年スペイン映画
監督=ホセ・アントニオ・キロス
出演=セルソ・ブハッロ、ゲイリー・ピケル、クララ・セグラ


『ビューティフル・カントリー』
カンパニア地方は、このままイタリアのゴミ箱になるのだろうか?
野放図なゴミの山に、アラ隠しの消臭剤を振りまき、
有害物は放置されたままの現実。それでも行政は動かない。
環境衛生局の男性は、頭の血管が切れてしまうのではと思える程、
キャメラの前で怒りを露わにする。路上に積みあげられただけの廃棄物に
ビニールシートを掛けることもできないのかと無責任を嘆き、
草木の陰に隠れて放置されたアスベストを発見し、
いたちごっこの現実に絶望を深くする。
しかし、故郷の惨状に居ても立ってもいられないのが、まっとうな人間というものだ。
彼の行動は、生まれ故郷がゴミ箱になることにいたたまれない義侠心ゆえだろう。
その純粋さは、観る者の心をも衝き動かす。
かつて“アッチェラの羊飼い”と称された先祖から受け継いだ、
肥沃な土地の恵みを享受してきた農民たちは、
今やゴミ処理工場からの有毒な廃水によって、
端正かけて育てた苺や桃、杏も、熟すことなく腐り落ちるに任せるしか術を持たない。
“娘同然”に慈しみ育てた羊のミルクはダイオキシンに冒され、
羊ともども処分される無念を、彼ら農民以上に噛み締める者はいないだろう。
カンパニア地方の清らかな空気が自慢だったのも過去の話。
巨大利権を手放さないナポリ・マフィア、カモッラと地元政治家との癒着は根深い。
彼らの不正の会話は録音テープに収められ、
ゴミ処理工場の火災事故の証拠が明るみに出ても、
事態は好転するどころか、政治家はトラブルを避けるように見過ごすだけだ。
いわゆる少数派の農民の生活は、“なぶり殺し”同然だ。
企業はどうあろうと責任を取らない。喰い潰した土地を放置したまま逃げ去り、
また新たなターゲットを物色するだけのハイエナ同然だ。
絶望で覆いつくされたこの村は、絶命のうめき声をあげる自然の叫びそのものだ。
腰が立たない弱々しい羊は、取りも直さずそう遠くない日の人間の姿だ。
人々は発ガン性物質を吸収したトマトを食べて、
ガンに罹る危険性と生きていかなくてはならないのだから。
自然は人間にしっぺ返しをする。それがマフィアでも政治家でもなく、
その癒着の犠牲になった農民たちなのは理不尽だが、
希望は湿地帯でまだ息を潜めて生きている生物たちだ。
死に瀕したカイツブリは、必死で助けの時を待っているかのようだ。
羊飼いの妻は無念を押し殺して、絞り出すようにこう言う。
「羊の犠牲が未来に繋がるように」。
この土地が、かつての豊饒さを取り戻すにはどれ程の歳月が必要だろうか。
代々、この土地に生きた多くの農民たちは、すでにここから離れていっただろう。
EUの勧告によって、ようやく窮状が改善される兆しを見せ始めたのは喜ばしい限りだが、
それは自浄能力のないイタリア人の恥を国際的に晒したようなものだ。
早急にすべきは、この負の連鎖を断ち切ることだ。
農民のひとりが言うように、「ノアの方舟」のようにいったん清算して、
一からやり直すしか彼らの未来は残されていない。現実は何と残酷なことか。

●DATA
Biùtiful cauntri
2008年イタリア映画
監督=エズメラルダ・カラブリア、アンドレア・ダンブロジオ、ペッペ・ルッジエロ

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